
公園でボール遊びをしただけで怒られた!キャッチボールが禁止されているなんておかしい!
そんな思いをした親子や子どもたち、いらっしゃるのではないでしょうか。
かつての日本では、放課後になると近所の公園に子どもたちが集まり、キャッチボールやドッジボール、サッカーに夢中になる光景が当たり前でした。
当記事執筆者も、公園で、友だちと笑い合い、時に転んで泣きながらも、体を動かす中で社会性や思いやりを学びました。
そうした「外遊びの文化」は、長年にわたって子どもの成長を支えてきたものです。
ところが近年、そんな風景は姿を消しつつあります。
都市部を中心に、公園の入口やフェンスには「ボール遊び禁止」「危険な遊びは禁止」といった看板が並び、遊びの制限が日常化しているのです。
そのため、結局はベンチでお菓子を食べたり、スマホをいじったりするだけの静かな公園が増えています。
確かに、安全面や近隣への配慮も大切ですが、危険やトラブルを避けることだけを優先して、遊びそのものを封じてしまって良いのでしょうか・・・?
子どもたちがのびのびと身体を動かす機会を奪うことは、健全な成長の妨げにもなりかねません。
そこで、ここでは、ボール遊び禁止の背景と社会的要因、そして現場で起きている課題を掘り下げ、これからの「公園のあるべき姿」を考えていきます。
ボール遊び禁止が増えている現状

近年、都市部を中心に「ボール遊び禁止」「バット使用禁止」「サッカー禁止」などの看板を掲げる公園が多く存在します。
かつては公園でキャッチボールをしたり、ドッジボールをしたりする光景が当たり前でしたが、今ではそれを見かけることも少なくなったと感じる人もいるのではないでしょうか。

少子化でそもそも子ども数が少なくなっている地域もありますが、子どもが多い地域でもボール遊びをする子どもを見かけることは減ったように、当記事執筆者も感じます。
各公園により事情は異なりますが、概ね、公園で禁止される遊びは、主に以下のようなものが多くなっています。
- ボール遊び全般(キャッチボール、ドッジボール、サッカー、バレーボールなど)
- バットやラケットを使う遊び(野球、テニスなど)
- スケートボード、キックボード、自転車の練習
- 大声を出す集団遊び
つまり、「動きの大きい」「音が出る」「道具を使う」遊びが規制されやすい傾向にあるといえます。
公園で遊びが制限されているからか、一方で、ベンチでスマホやゲーム機を触る子どもたちの姿も見かけるようになりました。
確かに、公園の遊具で遊ぶことは可能ではありますが、公園における「子どもの自由な遊び場」としての機能が失われつつあるのです。
なぜボール遊びは禁止されるのか?その主な理由

では、なぜ、公園でボール遊びは禁止されるのでしょうか。その主な理由は、次の3点となります。
- 事故やケガのリスク
- 近隣住民からの苦情
- 管理責任の回避
実際は、以上の事柄が密接に絡み合って、ボール遊び禁止になることが多いです。
順に、詳しく見ていきましょう。
事故やケガのリスク
自治体や公園管理者がボール遊び禁止の理由として最も多く挙げるのが、「事故防止」です。
- ボールが道路に転がり出て車や自転車と衝突する
- 通行人にぶつかってケガをさせる
- 遊具やベンチに当たって破損させる
そうしたトラブルを未然に防ぐため、全面的にボール遊びを禁止するという判断が取られることもあります。
確かに、都市部では公園と道路や住宅の距離が非常に近く、フェンスも低いため、ひとたびボールが外に飛び出せば、事故に直結する危険性もあります。
小学生が軽く投げたボールでも、角度や風の影響で予想外の方向へ転がることがあります。

確かに、そうしたリスクを管理者が懸念するのは理解できる部分といえるかもしれません。
近隣住民からの苦情
もう一つの大きな理由が、近隣からの苦情です。
- うるさい
- ボールが家に当たって危ない
- 車に傷がついた
などの声が寄せられると、公園の管理者や自治体はその対応を迫られます。
「うるさい」という軽微な苦情が1人だけから来ても、原則、公園管理者は対応せねばなりません。
そして結果的に、「トラブルを防ぐために禁止にしてしまおう」と結論づけるケースが多いのです。
特に住宅街の中にある小規模な公園では、遊ぶ子どもたちと住宅との距離が近く、ボールがフェンスを越えて敷地内に入ることも珍しくありません。
そのたびに住民と子ども、または保護者の間でトラブルが起き、最終的に「禁止」という形で終止符が打たれてしまうことが多いと考えられます。
さらに、現代の社会構造も見逃せない理由といえるかもしれません。
昔は近所付き合いがあり、顔見知りの子どもが多少うるさくしても「元気でいいね」と見守る雰囲気がありました。
しかし、現在は近隣関係が希薄になり、相互理解よりも「静けさ」「快適さ」が優先されがちです。特に、都市部では、その傾向が顕著でしょう。
その結果、「子どもの声=騒音」「遊び=迷惑」と見なされやすい社会的空気が生まれているのです。
この価値観の変化こそが、ボール遊び禁止を加速させている要因の一つといえるでしょう。

公園が地域の共有財産ではなく、「他人の迷惑源」として扱われてしまう・・・。何とかしたいものです。
管理責任の回避
そしてもう一つ見逃せないのが、自治体や指定管理者の「責任回避」という側面です。
公園で事故が起きた際、たとえ利用者側の不注意が原因であっても、管理体制や安全対策の不備を問われることがあります。
そのため、管理者としては、万が一のリスクを避けたいという心理が働くことは言うまでもないでしょう。
結果として、「禁止にしておけば責任を問われることはない」という消極的な安全策に走ってしまうのです。
このように、ボール遊びの禁止は必ずしも「子どもの安全を守るため」だけではなく、「大人や管理側の責任を軽くするため」という都合から生まれている側面もあるといえます。
一見すると安全のためのルールに見えても、実際には、管理しやすさを優先した結果であることが少なくありません。

こうした対応を改めるように折衝し、少子化の今こそ、子どもが公園でのびのびと遊べる空間をつくることこそが、政治家の役割ではないでしょうか。
なぜトラブルが増えたのか?社会的背景とは

以前は、公園でのボール遊びができるところが多かったにもかかわらず、今は、ボール遊びが禁止されている公園が増えています。
実感として、多くの人が感じているところだと思います。
ボール遊び禁止となる理由は、前述した通り、トラブルによるものですが、なぜ、ボール遊び(公園)にかかるトラブルが、昨今は、増えているのでしょうか。
下記の通り、社会的な背景についても探っていきたいと思います。
- 住宅地の密集化と公園の狭小化
- 地域コミュニティの希薄化
- 子どもの遊びに対する社会の寛容さの低下
こちらも、詳しく見ていきましょう。
住宅地の密集化と公園の狭小化
都市部では土地が限られており、1つの公園の面積が小さくなっています。
再開発や住宅建設が進む中で、かつて、地域の子どもたちが自由に遊んでいた「空き地」「原っぱ」「広場」といったスペースは、次々と駐車場やマンション用地などへと姿を変えました。
その結果、残された公園は「住宅に囲まれた小さな緑地」に過ぎず、ボールを少し強く蹴るだけで隣家の壁や道路に届いてしまうような構造になっているのです。

わずか数メートル先に住宅の窓や車が並び、そこにボールが当たれば即座に苦情の対象になってしまうのです。
つまり、問題は、公園やその周辺の環境そのものがボール遊びに適さなくなったということにあります。
「のびのび遊べるぶ場所そのものが減った」ことが、ボール遊び禁止の根本的な背景であり、子どもたちが悪いわけでも、特定の親がマナー違反をしているわけでもないのです。
それにもかかわらず、「公園でボール遊びをする子が悪い」と見なされてしまう現状には、少し理不尽な気もします。
地域コミュニティの希薄化
かつての日本社会では、近所同士のつながりが強く、「お互いさま」の精神が根付いていました。
多少のトラブルがあっても「まあ子どもだし、元気でいいじゃないか」と笑って済ませる雰囲気もあったかもしれません。
年配の人たちが子どもに声をかけ、時には叱り、時には遊び相手にもなる・・・。そうした人間的なつながりが、地域の中で自然に形成されていたのです。
しかし現代では、隣にどんな人が住んでいるのか知らない、挨拶すら交わさないという地域が増えています。
そのため、トラブルが起きても「話し合って解決」するより、「行政に通報」「管理者に苦情」という形で処理されやすくなっています。
このように、地域の関係性が薄れることで、「会話による理解と共存」よりも「ルールによる排除」が優先される傾向が強まりました。
一度、「禁止」という看板が立つと、それを撤回するのも、容易ではありません。

公園利用のルールは、住民同士の合意のよるものではなく、「上から降ってくる行政指令的なもの」になりがちです。
子どもの遊びに対する社会の寛容さの低下
前述したことと関連するかもしれませんが、社会全体が「静けさ」や「秩序」を求めすぎるようになっているように思えます。
「迷惑をかけてはいけない」という価値観が行き過ぎて、子どもの遊び声までもが騒音として扱われるようになっています。
昔は、子どもが公園で走り回る声やボールが跳ねる音は、ある種、まちの生活音の一部でした。
しかし今では、その音が、
- うるさい
- 昼寝の邪魔
- 仕事のリモート会議に支障
といった理由で苦情の対象になっています。
こうした価値観の変化の背景には、働き方や生活スタイルの多様化もあるといえます。
在宅勤務が増え、昼間の静けさを求める大人が増えたことも、子どもの遊びが排除されやすくなった一因です。
また、防音性の高い住宅・マンションに住む人が増えて、静かな環境が当たり前になり、少しの音でも過敏に感じるようになっているという意見もあります。
つまり、「子どもの声がうるさい」というより、大人の生活環境が変わり、子どもの声に対する耐性が下がっているのかもしれません。

社会が静かさを理想とするあまり、子どもの外遊びに対する寛容さが失われていっています。
どのように解決する?これからの公園のあり方

それでは、公園におけるボール遊び禁止について、どのように解決していくべきなのか。
ここでは、以下の2点、提案したいと思います。
- 「禁止」から「共存」へ発想の転換を
- 子どもの声を政策に反映
今後の公園は、どうあるべきなのか。述べていきます。
「禁止」から「共存」へ発想の転換を
まず求められるのは、「危険だから禁止」ではなく、「どうすれば安全に遊べるか」を考える発想の転換です。
これまでの多くの自治体では、トラブルや苦情が起きるたびに「禁止」という対応を重ねてきました。
しかし、その結果として生まれたのは、子どもたちの笑い声が消えた空間です。子どもたちが、公園でゲームをしている姿も見られます。
公園は本来、誰かを排除する場所ではなく、さまざまな人が共に過ごすための公共空間です。
「危険」や「迷惑」を完全になくすことは不可能でも、「減らす工夫」はできるはずです。
たとえば、
- ボールが飛び出さないようにフェンスや防球ネットを設置する
- 走り回るエリアとベンチのある休憩エリアを明確に区分けする
- 近隣への影響を考慮して、ボール遊びができる時間帯を「午前9時〜午後5時」などに限定する
ことが考えられます。
こうした工夫を考えるときに重要なのが、行政と地域の協働です。
地域の子どもたちが「ルールを押し付けられた」と感じないように、行政と地域が協働して、ルールをつくるということも必要なことでしょう。
なお、前述した、「住宅地の密集化と公園の狭小化」というハード面の課題をかかえた公園においては、上記のような対応をするのは難しいという声もあるかもしれません。
ただ、それでは、禁止するより、どう使うかを、行政・地域住民・子どもも含めて、関係者全員で考える・・・。そうした工夫こそが大切です。
放課後に、小学校を開放することも一案ですが、実際には、安全管理などの問題で難しいというところも多いようです。
子どもの声を政策に反映
そして、何より忘れてはならないのは、当事者である子どもの声を聞くことです。
最近は、「こどもまんなか社会」という言葉を聞くことも増えてきました。
海外では「子どもまちづくり会議」や「子ども議会」といった形で、子どもが都市計画や公園デザインに参加する例があると聞きます。
こうした取り組みは、社会の一員としての子どもを尊重するということを意味します。
日本でも、子どもの声を「迷惑をかける側」としてではなく、「社会を共に作る仲間」として位置づける必要があるといえるでしょう。

遊びたい!走りたい!友達とボールを投げたい、蹴りたい!
以上のような子どもの意見は、大切です。
大人が子どもの声をどう受け止め、どんな環境を作るかによって、未来のまちの姿は変わります。
子どもの声が反映された公園こそ、地域の活気と笑顔を取り戻す鍵になるでしょう。
ココニ公園プロジェクト ~子どもの笑顔を地域に咲かせる~

「ボール遊び禁止問題」の解決にもつなげられないかと思い実施している、「ココニ公園プロジェクト ~子どもの笑顔を地域に咲かせる~」について紹介します。
当記事執筆者の所属団体(一般社団法人ラジーン)が実施しております。
このプロジェクトは、陳情などでボール遊びをできる公園を増やすというものではなくて、公園の代替となる施設で子どもたちに、ボール遊びも含めて、のびのびと遊んでもらうという考え方です。
ただし、放課後の小学校の開放は、諸事情により難しいことが多いために、民間施設に協力してもらうということになります。
ひとまずは、団体が立地する大阪府吹田市の江坂地域で進めていき、「e-Spark」という民間のスポーツ施設(フットサルコート)に協力してもらいます。

江坂においても、子どもが非常に多い地域ですが、一方で、のびのびと遊べる公園はあまりありません。
ただ、民間施設の開放ということになると、どうしても、場所代などがかかってきます。
そこで、このプロジェクトは、そうした場所代などの費用を協賛金でまかなって、民間施設(e-Spark)を地域の公園のように開放してもらうということになります。
※2026年度においては、助成金の活用で、当プロジェクトを実施する方向で検討しています。
つきましては、協賛や物品提供をしてくださる企業様などを募集しておりますので、興味のある方は、こちらより、お問い合わせください。
こうした代替の民間施設を公園のように開放してもらうという考え方も、ボール遊び問題解決の方法の1つだと考えています。
最後に

公園でのボール遊び禁止は、「安全」「静けさ」「責任回避」といった理由から実施されています。
確かに、それぞれの事情には一定の正当性があります。
しかし、その結果として失われつつあるのは、子どもたちの成長の場と地域のつながりです。
本来、公園は「誰もが自由に楽しめる公共空間」であり、年齢や立場を超えて人と人とが触れ合う場です。
そこで交わされる笑い声や挨拶、そして何気ない会話の一つひとつが、地域社会の温もりを育んできました。
子どもたちがボールを追いかけ、転び、また立ち上がる・・・。その姿は、社会が健全である証でもあります。
子どもが元気に遊ぶ声を、騒音ではなく、いわば「まちの生活音」として受け入れられる社会になるには、大人と子ども、住民と行政が対話を重ねながら、笑顔があふれる公園を取り戻していくことが大切でしょう。
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