「ターラーララ、タラララーラーララー、タラララーラーラーラーラーーー、 あーたーらしい…♪」
朝のラジオ体操の放送で必ず聞くことになる「ラジオ体操の歌」。
ラジオ体操愛好家は、「ラジオ体操の歌」が流れているときは、足踏みをしています。「ラジオ体操の歌」はラジオ体操の準備運動のような役割もあります。
さて、ラジオ体操は、2028年に放送100周年を迎えますが、「ラジオ体操の歌」にもそれなりに長い歴史があります。
現在の「ラジオ体操の歌」は三代目です。
ということは、初代・二代目の「ラジオ体操の歌」もあったのです。
「ラジオ体操の歌」の歴史について見ていきましょう。
この記事を見てわかること
- 現在の「ラジオ体操の歌」のあれこれについて
- 初代・二代目の「ラジオ体操の歌」について
- 国民保健体操其1の歌詞付きバージョン「朝日を浴びて」について
「ラジオ体操の歌」の歴史を中心に述べていきます。
現在の「ラジオ体操の歌」は三代目
NHKラジオによる朝のラジオ体操の放送では、体操前に必ず「ラジオ体操の歌」が流れます。
「あーたーらしい…♪」。ラジオ体操愛好家のほとんどは、歌うことができるでしょう。
この現在の「ラジオ体操の歌」、実は、三代目なのです。
後ほど述べますが、二代目の「ラジオ体操の歌」の歌詞が長く、覚えにくいということから、三代目の「ラジオ体操の歌」がつくられました。
三代目・現在の「ラジオ体操の歌」は、1956年(昭和31年)3月に発表され、4月1日から放送が始まりました。
そして、今に至るのです。
なお、三代目の「ラジオ体操の歌」は、著作権がありますので、取り扱いには十分にご注意ください(歌詞・メロディーともに、しばらくは切れることはありません)。
【関連事項】愛好家は足踏み!
関連事項も述べていきます。
朝のラジオ体操では、必ず、「ラジオ体操の歌」が流れますが、ラジオ体操を実践する愛好家の多くは、歌が流れている間、足踏みをしています。
参考までに、朝のラジオ体操の放送の流れを以下に記しました。
NHKR1・朝6時半(再放送NHKR2・8時40分)の放送の流れ
1. オープニング
2. 指導者によるあいさつ
3. ラジオ体操の歌(1番のみ)
4. ほぐしの体操
5. ラジオ体操第1
6. 首の運動
7. ラジオ体操第2
8. エンディング
※意外と知られていませんが、現在の「ラジオ体操の歌」は、2番もあります。
※昼の放送では、「ラジオ体操の歌」は流れません。
ラジオ体操の放送において、体操を始める前に流れるのが、「ラジオ体操の歌」(1番のみ)です。
「ラジオ体操の歌」が流れている間に足踏みをすることは、体操の準備運動に最適なのです。
体を適度に温めることもできます。
ちなみに、当記事の執筆者はラジオ体操会を主催していますが、私が前で実演する際、「ラジオ体操の歌」が流れている間は必ず足踏みをします。
皆さまも、ぜひ、「ラジオ体操の歌」が流れている間は、足踏みをしてみてください。
初代「ラジオ体操の歌」は1931年に発表
さて、これからは、本格的に「ラジオ体操の歌」の歴史について述べていきます。
三代目・現在の「ラジオ体操の歌」から一気にさかのぼりまして、初代の「ラジオ体操の歌」について記していきましょう。
初代の「ラジオ体操の歌」は1931年7月に発表となりました。同年7月21日から、体操終了後の歌として放送がされました。
作詞は小川孝敏氏、作曲は堀内敬三氏です。
著作権が切れているので、1番の歌詞だけ以下に記しておきましょう。
踊る旭日の光を浴びて
屈げよ伸ばせよ我らが腕
ラジオは號ぶ一二三
1番のみの歌詞をお示ししましたが、口ずさむことができるという方も少なくないかと思います。
私も、口ずさみながら、歌詞を入力しました。今は放送されていない歌ではありますが、知名度は意外と高い歌だと思います。
「朝日を浴びて」はラジオ体操の歌?
二代目「ラジオ体操の歌」へといく前に、述べなければならないことがあります。
それは、「朝日を浴びて」という歌についてです。
「朝日を浴びて」は、初代ラジオ体操第1(国民保健体操其1)の伴走曲に、歌詞がつけられた歌となります。
発表されたのは、1939年。作詞は、武内俊子氏です。
こちらも著作権は切れていますので、1番のみ、歌詞を見てみましょう。
朝風そよそよ ラジオは響く一二三
大人も子供も 輝く太陽仰いで
今、光と大気に
湧き漲る 血潮よ
銃後の護りだ われ等の身体鍛えん
1939年に発表された曲。時代を反映しています。
特に注目したい部分が、「銃後の護りだ われ等の身体鍛えん」です。
「銃後の護り」とは、戦争の最前線で直接戦うのではなく、前線で戦う人々を間接的に支援することです。軍需工場で働くことや食料を供給することなどがあてはまります。
「朝日を浴びて」は、軍国主義的な歌詞となっております。
また、当時は、ラジオ体操についても、国民の心身を鍛えて、愛国心を高める目的で行われてきました。
以上の経緯から、「朝日を浴びて」についても、「ラジオ体操の歌」とみなす場合があります。しかしながら、一般的には、「朝日を浴びて」と「ラジオ体操の歌」は分けて考えるのが普通です。
したがいまして、ここでは、「朝日を浴びて」を「ラジオ体操の歌」という認識はしておりません。
ただし、「朝日を浴びて」も、ラジオ体操の歴史を語る上では、不可欠な要素であることは言うまでもありません。
戦後、二代目の「ラジオ体操の歌」は短命に終わる
戦後の話へとうつりましょう。
二代目のラジオ体操は1946年4月から1947年8月にかけて放送されましたが、このころに、新しい「ラジオ体操の歌」が発表されることはありませんでした。
二代目の「ラジオ体操の歌」が発表されたのは、現行のラジオ体操第1の放送が始まってからでした。ラジオ体操第1は、1951年5月より放送が始まります。
その際、ラジオ体操にあった「ラジオ体操の歌」もつくろうということになり、歌詞は公募で募集しました。
その結果、脇太一氏作詞の歌詞が選ばれ、大中恩氏が作曲をしました。著作権は切れていません。
二代目「ラジオ体操の歌」は1951年9月に発表され、現在の「ラジオ体操の歌」が発表される前(1956年)まで放送されたようです。
【まとめ・年表】「ラジオ体操の歌」の歴史
いかがでしょうか。
現在の「ラジオ体操の歌」は「朝日を浴びて」を除いて、3代目です。「ラジオ体操の歌」にも、長い歴史があるのです。
最後に、これまで述べてきたことをごく簡単に年表にまとめて締めといたします。
年月 | 出来事 |
---|---|
1931年7月 | 初代「ラジオ体操の歌」が発表される。 |
19.39年 | 「朝日を浴びて」が発表される。 |
1951年9月 | 二代目「ラジオ体操の歌」が発表される。 |
1956年3月 | 三代目「ラジオ体操の歌」が発表される。 |