ラジオ体操といえば、やはり、曲です。曲にあわせて体操をすることこそが、ラジオ体操の大きな特徴です。今回は、その曲についてです。
現在のラジオ体操は三代目で、曲についても周知のとおりですが、もちろん、初代・二代目のラジオ体操にも、それぞれ、今とは異なる楽曲がありました。
そうした中で、少し世界史に詳しい方ならば、昔のラジオ体操は「ホーエンフリートベルク行進曲」が採用されていたという断片的な知識をお持ちの方もいらっしゃることでしょう。
当サイトを、「ホーエンフリートベルク行進曲 ラジオ体操」と検索してご覧になっている方もいらっしゃるかと思います。
先に結論を申しますと、昔のラジオ体操の曲で「ホーエンフリートベルク行進曲」が採用されていたことは事実です。
しかし、それだけでは言葉足らずです。というのも、そのラジオ体操は何代目の体操なのか、さらに、第1 or 第2 or 第3のどれなのかということが説明されていないからです。
この記事を見てわかること
- 過去に放送されていたラジオ体操について
- 初代ラジオ体操の楽曲について
- 「ホーエンフリートベルク行進曲」について
ラジオ体操の歴史を紐解き、昔のどのラジオ体操に「ホーエンフリートベルク行進曲」が採用されていたのか、解説してまいります。
現在のラジオ体操は三代目
まずは、ラジオ体操に関する基本的な事柄を確認しましょう。
現在放送されているラジオ体操(第1・第2)は三代目となります。
ということは、初代と二代目のラジオ体操も存在するということになります。昔のラジオ体操といっても、初代と二代目があり、さらに、その中でも、第1・第2・第3とわかれているわけです。
初代と二代目は、第3体操までありました。
それぞれの体操の特徴などを、1級ラジオ体操指導士で初代から三代目までの全てのラジオ体操を覚えている当記事執筆者が解説してまいりましょう。
特徴はごく簡単にまとめています。書き出すときりがないので、さらに詳しく知りたい方は、文献や(当時の)図解・音源を探ってみてください。
初代
初代のラジオ体操は第1~第3がありました。
それぞれ発表された年月は異なっておりますが、動きは割と単純です。
戦時中は、鍛錬や愛国心向上のためになされておりました。
二代目
二代目のラジオ体操も、第1~第3がありました。
初代のラジオ体操は軍国主義的だというGHQの批判を受けて、日本側が策定しました。
初代のラジオ体操とは全く雰囲気が異なっていたが、動きがやや複雑、戦後の大変な時期であったことなどから、なかなか普及せず、1年強で放送が中止となりました。幻のラジオ体操と言う人もいます。
三代目
三代目のラジオ体操は、現在も放送されています。
多くの方が、ご存じのことでしょう。
ラジオ体操全体の歴史を見ても、現在・三代目のラジオ体操がその多くを占めています。
キングレコードの「ラヂオ体操の全」というCDでは、今、紹介した、初代~三代目の全てのラジオ体操の楽曲を聞くことができます。
ラジオ体操愛好家の私も、もちろん、このCDを持っております。
楽曲の多い初代ラジオ体操
初代から三代目のラジオ体操第1・第2・第3について見てまいりました。それぞれの体操の動きは当然異なりますし、曲(音楽)も全て異なっております。
そのうち、初代ラジオ体操第3、二代目ラジオ体操第1~第3、三代目ラジオ体操第1・第2については、曲はそれぞれ1つしかありません。一方で、初代ラジオ体操第1と初代ラジオ体操第2については、複数の曲があったとされています。
「ホーエンフリートベルク行進曲」についても、その中の1つとなります。
少し詳しく見ましょう。
初代ラジオ体操第1
初代ラジオ体操第1(国民保健体操)は、当初、福井直秋作曲の「可愛い歌手」(其の1)という曲が採用されていました。
しかしながら、一時的に、著作権に関する問題が起きて、「其の2」「其の3」(ともに東京音楽学校作曲)の曲が使われるようになりました。ただ、こちらについては、放送期間が短かったようです。
その後は、再び、「可愛い歌手」が伴走曲になりました。
以上より、初代ラジオ体操第1は、伴奏曲が少なくとも3つはあったとされています。
※「其の4」もあったのではないかと言われています。
初代ラジオ体操第2
初代ラジオ体操第2には、2つの伴奏曲があったとされています。1つが、堀内敬三作曲「若鮎」です。そして、もう1つが、「ホーエンフリートベルク行進曲」だったのです。
初代ラジオ体操第2の楽曲の1つが・・・
したがって、次のように言うことができるでしょう。
初代ラジオ体操第2における2つの伴奏曲のうちの1つが「ホーエンフリートベルク行進曲」でした。
「昔のラジオ体操第2」という言い方では、説明不足となってしまいます。というのも、二代目ラジオ体操第2も、70年以上前に放送されており、昔ということができるからです。
また、初代ラジオ体操第2には「若鮎」という曲も採用されていたことにも注意が必要です。
ただし、「若鮎」と「ホーエンフリートベルク行進曲」がどのように使われていたかは不明です。
「ホーエンフリートベルク行進曲」が採用された初代ラジオ体操第2の伴奏曲を実際に聞くと、曲の最初の8小節の繰り返されている感じでした。
こちらのCDで、「ホーエンフリートベルク行進曲ver」の初代ラジオ体操第2も聞くことができます。
「ホーエンフリートベルク行進曲」とは
「ホーエンフリートベルク行進曲」は、有名な行進曲ですが、「ホーエンフリートベルク行進曲」(Der Hohenfriedberger)についても説明を加えておきます。
世界史に詳しく、説明を読む必要がないという方は、とばしてください(私は、高校時代、世界史を専攻しておりました)。
起源は18世紀・オーストリア継承戦争(1740年~1748年)にまでさかのぼります。
オーストリア継承戦争は、オーストリアの帝位(ハプスブルク家の領土)を継いだばかりのマリア・テレジアに、プロイセンのフリードリヒ2世が意義を唱えて戦争を仕掛けたことにより始まりました。
1745年6月4日、プロイセン軍とオーストリア・ザクセン連合軍がシュレジエンのホーエンフリートベルク周辺で戦火を交えました(ホーエンフリートベルクの戦い)。
ホーエンフリートベルクの戦いは、プロイセン軍が勝利をしました。
その勝利を記念してつくられたのが、「ホーエンフリートベルク行進曲」でした。作曲者は、フリードリヒ2世ではないかと言われていますが、詳細は不明です。
ちなみに、オーストリア継承戦争はプロイセンの勝利、その後の七年戦争(1756年~1763年)もプロイセンの勝利、この時期のプロイセンは国力強化を図り、ドイツ統一の基礎を固めていったのでした
最後に
いかがでしたか。昔のラジオ体操には、確かに、「ホーエンフリートベルク行進曲」が採用されていたのですが、それだけの説明では不十分ということを申しました。
初代ラジオ体操第2における2つの楽曲のうちの1つが「ホーエンフリートベルク行進曲」だったのです。
「ホーエンフリートベルク行進曲」を実際に聞いてみるとわかりますが、行進や体操など体を動かしたくなるような曲調となっています(私の頭の中では、今、「ホーエンフリートベルク行進曲」の無限ループ状態になっています…)。
ぜひ、「ホーエンフリートベルク行進曲」verで初代ラジオ体操第2を、一度、実践してみてください。「ラヂオ体操の全て」というCDを手に入れてもらいますと、音源も図解も確認できます。
なお、来たる2028年に、ラジオ体操は100周年を迎えます。100周年に向けて、一般社団法人ラジーンのホームページでは、ラジオ体操の歴史を振り返るような記事を書いてまいりますので、引き続きよろしくお願いいたします。