ラジオ体操と戦争。実は、それは、切っても切り離せない関係なのです。
ラジオ体操は1928年(昭和3年)から放送されていて、形は変えてはいるものの、現在も放送されております。それ故、もちろん、戦時中もラジオ体操は放送されていたということになります
戦時中、ラジオ体操はどのような目的でなされていたのか。戦時中、ラジオ体操は戦時色に染まっていたので、ラジオ体操がどんな目的でなされていたにか、なんとなく想像がつくかもしれません。
当記事では、単にラジオ体操の歴史を述べるのもよいのですが、今回は、少し違う見方をします。
当時の初代ラジオ体操第1(国民保健体操)の歌詞付きverの歌「朝日を浴びて」を読み解いて、戦争とラジオ体操の関係を見ていくことにしましょう。
この記事を見てわかること
- 戦争とラジオ体操の関係について
- 「銃後の守り」について
- 初代ラジオ体操第1(国民保健体操)と「朝日を浴びて」について
「朝日を浴びて」を参考に、戦争とラジオ体操について見ていきましょう。
初代ラジオ体操第1の歌詞付きverが「朝日を浴びて」
まずは、ラジオ体操に関する基本的な事柄から確認していきます。
現在、放送されているラジオ体操は三代目となりますが、これからテーマとするのは三代目のラジオ体操ではありません。初代のラジオ体操までさかのぼります。
初代ラジオ体操(1946年4月まで放送)
初代ラジオ体操第1
【国民保健体操】
其1(「可愛い歌手」)
其2
其3
初代ラジオ体操第2
「若鮎」
「ホーエンフリートベルク行進曲」
初代ラジオ体操第3
【大日本国民体操】
※1945年12月まで放送
初代ラジオ体操第1(国民保健体操)は1928年(昭和3年)から、初代ラジオ体操第2は1932年から、初代ラジオ体操第3(大日本国民体操)は1939年(昭和14年)から放送され、戦後もしばらくは放送されていました。
ただ、日本の民主化を図ったGHQの圧力もあり、1946年(昭和21年)4月に放送が終了、同時に二代目ラジオ体操の放送が始まったのです。
なぜ、GHQは、ラジオ体操の放送に対して圧力を加えたのか。その背景にあるのがこれから述べることです。
そして、今回、戦争とラジオ体操を読み解くにあたって利用するのが、初代ラジオ体操第1(国民保健体操)其1の歌詞付きver「朝日を浴びて」。
初代ラジオ体操第1(福井直秋氏作曲)は、著作権問題があり、其2や其3のようにいくつかの楽曲がつくられたのですが、結局は、最初に採用された其1の楽曲(「可愛い歌手」)で安定しました。
1939年(昭和14年)、其1に歌詞がつけられ、歌詞付きverの歌の名前が「朝日を浴びて」となりました。武内俊子氏が作詞をしました。
歌を口ずさみながらラジオ体操をできるようにということで歌詞がつけられたのでした。
ただし、その「朝日を浴びて」の歌詞は軍国主義的なものでした。1939年前後の時代背景を考えると理解できると思います。
「朝日を浴びて」が発表された頃の日本の出来事
初代ラジオ体操第1(国民保健体操)其1に歌詞がつけられた「朝日を浴びて」が発表されたのは1939年(昭和14年)です。発表された正確な日付はわからなかったのですが、6月までには発表されていたようです。
では、1939年(昭和14年)前後の日本はどんな出来事があったでしょうか。主な出来事を年表で記してみます。
年代 | 出来事 |
---|---|
1937年7月 | 盧溝橋事件が発生。日中戦争が始まる。 |
1938年5月 | 国家総動員が発令される。 |
1941年12月 | 真珠湾を攻撃。太平洋戦争が始まる。 |
1945年8月 | 日本が降伏。日中戦争・太平洋戦争が終わる。 |
ごくごく簡単に記しましたが、総じていうと、1939年(昭和14年)前後の日本は、戦争の時代ということになります。
日中戦争以前にも、例えば、ラジオ体操の放送が始まって約3年後の1931年(昭和6年)に、満州事変が発生、日本は国際連盟を脱退します。その後も、国内で二・二六事件が発生するなど、ラジオ体操の放送が始まって以降、日本では、徐々に軍国主義化が進んでいきました。
そして、日中戦争以降、国内では戦時体制が大幅に強化されていきます。
ラジオ体操は、そうして、時代の流れに沿うような形で実践されていきました。戦時中、ラジオ体操は、まさに戦時色に染まってしまったのです。
逓信省簡易保険局(現・かんぽ生命)が策定したラジオ体操。当初は、国民の健康や保険支払いを遅らせることを目的に放送されていました。しかしながら、次第に、ラジオ体操は愛国心を高めること、心身を鍛えることを目的になされるようになりました。
「朝日を浴びて」の1番を見る
それでは、「朝日を浴びて」の歌詞を確認して、戦争とラジオ体操の関係について深めていきましょう。「朝日を浴びて」は4番までありますが、ここでは1番のみ記します。
※4番までの全ての歌詞は当記事の一番下に記しています。
※初代ラジオ体操第1(国民保健体操)其1の「可愛い歌手」、もしくは、歌詞付きver「朝日を浴びて」の著作権は切れています。
朝風そよそよ ラジオは響く一二三
大人も子供も 輝く太陽仰いで
今、光と大気に
湧き漲る 血潮よ
銃後の護りだ われ等の身体鍛えん
前半の歌詞(「朝風そよそよ~輝く太陽仰いで」)は、ラジオ体操をしている人々の様子が思い浮かぶような感じとなっており、素晴らしいと思います。
しかしながら、後半の歌詞(「今、光と大気に~われ等の身体鍛えん」)を見ますと、「朝日を浴びて」は、もはや軍歌といっても良いくらい、軍国主義的要素が組み込まれています。
こうした歌詞の構造は、2番・3番・4番も同様です。1番の後半の歌詞について、もう少し詳しく見ていきましょう。
「銃後の護り」とは
「朝日を浴びて」1番の後半(一番最後)の「銃後の護りだ われ等の身体鍛えん」という歌詞に注目すると、当時、ラジオ体操がどんな目的でなされていたのかがよくわかります。
それでは、銃後の護り(銃後の守り)とは何でしょうか。それは前線にいる軍隊の後方支援のことです。銃を持って前線で戦うのではなく、銃後で前線にいる人を支援すること、例えば、
- 軍需工場で兵器を生産すること
- 前線へ食料を輸送すること
- 戦傷者を治療すること
- 防空壕・避難壕をつくること 等々
です。
「朝日を浴びて」の1番の歌詞の最後、「銃後の護りだ われ等の身体鍛えん」の意味を分かりやすく説明をすると、「銃後の守りのために、ラジオ体操で心身を鍛えよう」ということになります。
「朝日を浴びて」を見てもわかりますが、実際に、ラジオ体操は、銃後の守りのため用いられていたということもできるのです。
戦争とラジオ体操
ここで、1978年にラジオ体操50周年記念史として発行された『新しい朝が来たーラジオ体操50年の歩みー』という本より引用したいと思います。その本には、次のような記述がありました。
ラジオ体操は、銃後を守る国民体力の高揚・皇国精神の徹底の面から、非常に重要視されました。
ラジオ体操50周年記念史編集委員会編、p.113
ラジオ体操に関する文献はいくつかありますが、引用した文献はラジオ体操連盟など普及団体も編集にかかわっておりますので、いわば、普及団体の公式見解ということになります。
1937年(昭和12年)にはラジオ体操人口が1億人を突破しています。日本国民・大和民族ならば、ラジオ体操はできて当たり前。ラジオ体操を通じて、愛国心を確認しあっていたのです。
さらに、戦争が激化してくると、銃後の守りのため、ラジオ体操で体を鍛えるということが重要になってきました。戦争をするうえで、ラジオ体操は極めて重要視されるようになり、実際に、太平洋戦争中は1日あたりのラジオ体操の放送回数が4回と、過去と比べて多くなりました。
戦局が悪化しても、ラジオ体操の放送は厳戒態勢で続けられてきました。ラジオ体操の放送をやめると、国民の士気に影響が出てくるからです。また、学校現場でも、心身鍛錬のためにラジオ体操が広く用いられました。
ラジオ体操は、戦時下において、国家総動員体制に組み込まれたのです。戦後、GHQがラジオ体操の放送に圧力を加えますが、それにはやはり以上のような背景がありました。
最後に
初代ラジオ体操第1(国民保健体操)の歌詞付きver「朝日を浴びて」から、戦争とラジオ体操の関係について見てきました。この記事の内容だけでは不十分であるということが正直なところなのですが、戦時中、ラジオ体操がどのような目的でなされていたのかを知っていただけると幸いございます。
現在、ラジオ体操は、健康のためにされている方がほとんどですので、当時は、全く異なる目的でなされていたということがわかったかと思います。
ラジオ体操はけしからん?
当記事では、ラジオ体操の負の歴史について述べてきました。この記事を読んで、もしかしたら、「ラジオ体操はけしからん、軍国主義的なものを今も普及するのはいかがなものか」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
しかしながら、戦時中に行われていたのは初代のラジオ体操、一方、現在において行われているのは三代目のラジオ体操で、異なるものとなっています。現在のラジオ体操の制定過程、そして、現在にかけての実施状況を見ても、戦時中のような目的は一切想定されておらず、また、そうした目的でなされてきていません。
したがって、戦時下のラジオ体操の実施状況をもって、「ラジオ体操はけしからん」と断定することは、筋違いと言わざるを得ません。ただ、一方で、初代ラジオ体操が、戦争遂行の手段として利用されてきたことを忘れてはならないということは、言わずもがなです。
来たる2028年にラジオ体操は100周年を迎えます。100周年を迎えるにあたり、改めて、ラジオ体操の歴史を振り返り、そして、次の50年、100年に向けて、ラジオ体操はどうあるべきなのか。
これは、1級ラジオ体操指導士で当記事執筆者(web担当:橋口)の課題と考えています。今後とも、当ホームページでは、ラジオ体操の魅力のみならず、歴史についても発信をしてまいります。
【参考】「朝日を浴びて」の歌詞
作曲:武内俊子
作詞:福井直秋
編曲:篠原正雄
1番
朝風そよそよ ラジオは響く一二三
大人も子供も 輝く太陽仰いで
今、光と大気に
湧き漲る 血潮よ
銃後の護りだ われ等の身体鍛えん
2番
元気は溌剌 ラジオは響く街々
伸せよ双手を 勢い高く打ち振れ
それ、精神も朗らか
湧き漲る 力よ
興亜の剣だ われ等の腕を固めん
3番
草木も明るく ラジオは響く村々
利鎌を持つ手に 斧振る腕に合わせ
胸、そらせよ 羽搏け
湧き漲る 希望よ
みどりの大地だ われ等の国を強めん
4番
晴れゆく海原 ラジオは響く浦々
潮風白波 獲物は踊る舟端
いぜ、挙りて 漕ぎ出せ
湧き漲る 歓喜よ
万里の波濤に われ等の意気を試さん